スコットランド人、特に高地地方に住む「ハイランダー」と呼ばれる人たちの伝統衣装は、スカートそっくりであり、なおかつ正式にはそのスカートの中には何も着用しない、ということは割合知られている。「ということはスコットランド人には女装趣味があるということなのか」と勘違いする人もいるかも知れない。
だがこれはとんでもない誤解である。

正装したスコットランドの熟年男性。

まずはその誤解を一つ一つ解いていこう。「スコットランド人はスカートをはいている」だが、彼らがはいているのはスカートではなくキルトという民族衣装である。
現在でも公式な場での男性の正装として結婚式や卒業式、スコットランド軍の制服など様々な場面で国民に愛用されている。
キルトは本来長い一枚布であり、かつては腰に巻いて余った部分を肩にかけたり、頭に被ったりしていた。
このような着方をするスカートがあったであろうか?ない。なのでキルトはスカートではないのだ。
時代が下るとキルトは腰回りだけを覆うように変化していき、結果的にスコットランド以外で女性が着用するスカートに近いものになった。ただそれだけのことなのだ。

というわけで誤解その2
「その下には何もつけてない」について説明しよう。
確かにハイランダーはキルトの下には何もつけていないのだが、これは実はある一定の文化的条件を満たしていない地域においては当たり前で、おかしなことではないのだ。
ついでに言うとその理由は、男がズボンをはく地域においてもなぜ女性はスカートなのか、ということと原因を一にしている。
人類が初めて使用した衣服というのは、古いタイプのキルトと同様一枚の布を身体に巻きつけただけのものだ。
これを固定するために帯などの付加物が考案されたが、基本的にはどこでもほぼその形で完成されてしまった。
ギリシャ人の衣装にしてもローマ人の衣装にしても、基本はキルトと一緒で、パンツをはかない点も同一。
古代中国だって同様だった。どこの文明地域においても、これで基本的になんの不都合も感じることはなかったのだ。

だが、たったひとつだけ、パンツなしのスカート状の衣服では不都合を感じる民族がいた。
スキタイ人である。
なぜ困るかというと、彼らは歴史上初めて直接馬に乗って戦う「騎馬戦術」を開発したからだ。
一枚布系の衣服だけで直接馬にまたがると、布が派手にめくれ上がってしまって見ている人の気分を悪くするし、むき出しの股間が鞍に当たってとんでもないことになる。ついでにひらひらと翻る布はそこらの障害物に引っかかり危険極まりない。
というわけでスキタイ人はスカート状の衣服の真ん中を切り、足に合わせる形で縫い合わせた。ズボンの誕生である。スキタイの騎馬戦術は戦闘において猛威を奮い、スキタイに負けた各国は争ってその真似をし、騎馬戦術をズボンとともに導入していった。
ヨーロッパにおいても同様の変化が徐々に浸透していった。中世になり騎士が戦いの主役になると、男性の下半身を覆う主流はズボン系の衣服ということになっていった。

パンツとそのベースになるズボンは、騎馬民族によって発明されたのだ。

さてここで話はハイランドに戻る。
ハイランドの住民ハイランダーはケルト系で、どうもこの民族は(少なくともこの地方やアイルランドなどに居住する人々は)騎馬戦術を身につけていなかったらしい。
ケルト神話の英雄クー・フーリンは、二頭の馬に引かせた戦車に乗って戦うが直接馬に乗ったりはしない。第一、ハイランドはその名の通り山岳地帯なので、騎兵戦術が意味をなしにくいし、馬を育てるような平原に乏しい。
この地域をテーマにした映画を見ればわかるが、戦闘シーンにおいては身体のごっついハイランダーたちが、大剣を振りかざしてぶつかり合うのが常である。
後にスコットランド騎兵連隊というのが有名を馳せるようにはなるが、それはイングランドの征服を受けて騎馬文化が半ば強制的に移入された後のことだ。
というわけで、騎馬戦術を知らぬケルト人のハイランダーたちが、パンツなしのスカートっぽいのを伝統衣装としていても、それを奇妙だなどとは呼べないのだということはお分かりいただけたと思う。
そもそも、パンツをはいてないスカートっぽいのだけを着た歩兵は、ローマにもギリシャにも山ほどいた。中国だって春秋戦国時代の終わりの頃まで全部そうである。
パンツという衣服は、単純そうではあるがそれと思いつくのに時間がかかるシロモノであり、現在のものと原則的に同じものが開発されたのは、ここで紹介した各国にズボンが普及していった時代よりもずっとずっと後のことになる。

ハイランダーと呼ばれるスコットランド高地の戦士。当然のようにパンツははいてない。

最後に、騎馬と服装にまつわる一つの逸話をご紹介したい。
神託を受けて祖国フランスのために戦ったことで知られるジャンヌ・ダルク。
彼女は女性でありながらも兵を率いて戦場に赴くため男装を常としていたことで知られている。
シャルル7世の戴冠に貢献した後も各地で奮戦を繰り広げていたジャンヌだが、彼女のカリス マ性を恐れる勢力の手に落ち、異端審問にかけられてしまう。詳細については ジャンヌ・ダルク(Wikipedia) などを参照いただきたいが、後にジャンヌは男装が発端となって異端と指弾され、火刑に処せられてしまう壮絶な運命を辿った。
現代からは想像もつかないが、かつてのヨーロッパでは「女性がパンツをはく(男装をする)ことは命がけ」とも言える時代が確かにあったのである

ジャンヌ・ダルク (出典元:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャンヌ・ダルク)

フリパンライター

jcninc

おおつやすたか/IT関係のライターだったはずだけどいつの間にやら萌え系書籍の制作にと順調に身を持ち崩す。
ここ二年ほどは絵も描くようになりました。

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