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スポーツ×フリパン

第一回目の特集として取り上げたフィンスイミング記事は非常に好評でありがたい限りです!

前回記事⇒「スポーツ×フリパン、新企画始動!第1弾は水中最速競技「フィンスイミング」を大特集!

50メートルわずか13秒!

水中最速競技フィンスイミングの日本選手権の模様をお伝えいたしました。

初めての観戦でしたが驚きのスピードと圧倒的迫力に思わず釘づけ!大興奮!

そして今回は、フィンスイミング日本代表の柿添武文選手への単独インタビューの模様をお届けしたいと思います!

筆者:「今日は取材よろしくお願いします!」

柿添氏:「よろしくお願いします」

筆者:「早速ですが、柿添さんは元々フィンをやってこられたのですか?例えば子供のころからとか」

柿添氏:「いえ、元は競泳をやっていました。喘息やアトピーの予防や改善、後は体力作りのためですね。多くのキッズスイマー達ときっかけは一緒だと思います」

筆者:「そうだったんですね。ちなみにその頃からすでに速かったとか?」

柿添氏:「いや、全然(笑)。1年で4種目は泳げるようになりましたけど、当時は全国に出るとかそういう選手じゃなかったです。しかもケガばっかりしていてブランクがあったりしましたし…」

筆者:「え!ケガですか!?」

柿添氏:「これがバカな話なんですけどね、側溝の中にいるザリガニを取って遊んでいた時に何故か塀に登りたくなったんですよ。それで落ちちゃって左足のかかとを骨折しちゃいました。しかも一緒にいた友達は助けてくれないっていう(笑)」

筆者:「うわぁ…痛そうですねぇ」

柿添氏:「その後リハビリしてたんですけど、やっぱり子供だからジッとしていられないんですよ。ギプスしたまま遊んで走ったりもしてました。そうしたら、今度は反対側の右足の膝を疲労骨折…。今思うとバカでしたね(笑)」

ザリガニ取り、筆者もやってました

筆者:「でも子供ってそういうものですよね…では小学生の頃はあまり水泳はやれなかった、という感じですか?」

柿添氏:「いや、それでも治ってからは練習していましたよ。でも中学時代も全然記録は伸びなくて、凡庸な選手の一人でしたね。その後、高校に進学して何となく水泳部に入部したらなぜか劇的に記録が伸びて…高一の終わりには全国クラスの大会に出場できるようになりました」

筆者:「高校生になって記録が伸びたんですね!そこから柿添伝説がスタートですか!?」

柿添氏:「ん~でも元々、僕は高二で水泳辞める予定だったんですよ」

筆者:「えっ!なんでまた!?」

柿添氏:「僕、元々医者になりたかったんですね。だから医学部に行くために勉強したかったんです。でも急に記録が伸びてきたから、さすがに辞めるに辞められなくなりましたけど」

筆者:「もし高校入学後に記録が伸びていなかったら…」

柿添氏:「フィンスイマーとしての今の僕はいないでしょうね…きっと水泳辞めてましたから(笑)」

その後、記録を伸ばし続けジュニアオリンピックの表彰台に上り、インターハイの決勝の舞台を経験するまでに至った柿添氏ですが、競泳選手として「もっと上を目指したい」という想いと、子供の頃からの夢であった「医者になりたい」という二つの道で悩んでいました。 そんな時、筑波大の先輩から「うちで水泳やらないか?」とお誘いの言葉があったのだそうです。水泳選手の寿命はそう長くはありません。「今やらなければきっと後悔する」そう思った柿添氏は大学で水泳をやることを決意したのでした。

しかし、大学で大きな壁にぶつかってしまったのです。

柿添氏:「親父にね、言ったんですよ。“俺、水泳やってみる”って。全力で納得いくまでやってその後、また医学部を目指そうと思ったんです。親も納得してくれました。“やってみろ”って言ってくれたんです」

筆者:「高校で一挙に開花したわけですから、行けるところまでやってみたいというお気持ちはわかる気がします」

柿添氏:「僕も最初はもっと行けると思っていたんですけど…ただ現実は甘くなかった。僕、三重の出身なんですけど、県内では正直“敵無し”のような感じだったんです。でも大学に入って最初に感じたのが“才能の差”でした」

筆者:「そんなにレベルが高かったんですか?」

柿添氏:「当時の筑波大はトップクラスでしたからね。全国から才能ある選手が集まってくるわけですよ。高校までの自分はちょっと天狗になっていましたが、才能のるつぼに飛び込んだ瞬間…“井の中の蛙”という言葉をマジマジと実感させられました」

筆者:「水泳の才能というと…具体的にどういった部分でしょう?」

柿添氏:「体が大きければそれだけ水をかけますから速く泳げますよね?それも一つの才能です。でも同じ体格でもストロークとかスケールとか“伸び”が全く違うんです。トップの選手たちは僕とは全く次元が違いました」

筆者:「才能や実力ある選手がぶつかり合っていたんですね」

柿添氏:「チーム内の競争は本当に激しかったですよ。例えばインカレは1種目3人までしか出られないんです。それ以外の選手はサポートに回らなくちゃいけません。大学一年の頃はなんとか出られたけど二年の時には…後輩に負けてしまいました」

筆者:「悔しい…でもそれが決まりなんですね」

柿添氏:「えぇ、少なくとも筑波大の水泳部では先輩後輩関係なく、インカレ組をそれ以外の選手がマッサージやそれ以外の色々なサポートをする、というのが決まりでした。悔しいけど仕方ない…仕方ないけど正直やっぱりその時は水泳を辞めたくなりましたよ。ものすごく悔しかったし情けなかった…」

筆者:「でも辞めなかったんですね」

柿添氏:「いえ…実は四年の時に水泳部を抜けたんです」

筆者:「えっ!?」

柿添氏:「父に三年の終わりぐらいに言われたんです。“まだ医学部に行きたいのか?行くなら水泳なんてやってる場合じゃないぞ”って。正直言ってショックでした。でもわかってはいたんです。高校から大学にかけてほとんど記録も伸びませんでしたし、医の道に進みたいなら少なくとも二年くらいは勉強しないといけない。今からやらなければ間に合わないということも…。でも、四年で辞めるとなると、インカレのサポートを放棄してしまうことにもなるんです…」

筆者:「なるほど…難しい選択ですね」

柿添氏:「悩んだ末に出した結論は、引退でした。ただやっぱり、他の部員からは良く思われていなかったですね。当時はかなり険悪な形で辞めてしまいました。そこからは勉強に明け暮れることになったんです」

部を辞めてからの一年は勉強に明け暮れたという柿添氏。ガムシャラに机に向かい、卒業式にも出ずひたすら夢である医学部進学に向けて頑張っていました。諦めた水泳の道を忘れるかのように必死にもがいたそうです。そして退部から二年後…

柿添氏:「不合格だったんです。必死にやったし、犠牲にしたものも迷惑をかけた人もいたのに…全く笑えないですよね」

筆者:「厳しすぎる現実…ですね」

柿添氏:「でもダラダラしてるわけにもいかないですし、そこから就活を始めて普通にサラリーマンとして働くことにしたんです」

筆者:「水泳も勉強もやろうとは思わなかった?」

柿添氏:「もう、燃え尽きていましたよ(苦笑)。それで何となく会社に入って働いて、3年間ダラダラと運動もしないでいたら…17キロも太ってしまいました(笑)」

筆者:「えぇ!?僕も人のこと言えませんけど…大きくなりましたね!」

柿添氏:「なんか僕、何もしないと太っちゃうんですよ。運動していたころは筋肉があったしカロリー消費も激しかったから食べても太らなかったけど、あの頃は全然ダメで。人生で一番太っていたと思います(笑)」

筆者:「それでダイエットのために水泳って感じですか?」

柿添氏:「いえ、たまたま仲の良かった学生時代のOBたちと飲んでいて、“俺たちがマスターズ(※)の大会に出たらヤバいよな”って話になったんです。その中には現役当時、オリンピックに出ていた人もいましたので(笑)」

筆者:「確かにバリバリの最前線でやっていた人たちがマスターズに出たらすごそうです!」

柿添氏:「ですよね(笑)冗談から始まったことでしたけど、半ば本気でした。それでマスターズに向けて競泳をまたスタートさせたんです」

※『マスターズ水泳』とは
「健康・友情・相互理解・競技」をモットーに生涯スポーツとして水泳を楽しむ競技大会のこと。
現役競技者以外の一線を退いた経験者などが参加するものです。
他の競技でも“マスターズ”と冠される大会は年齢区分がなされ、初心者~中上級者またはリターン(競技復帰者)など幅広く参加することができます。

挫折と苦悩、そして再び水泳の道に戻ってきた柿添氏。マスターズに向けて練習を始めたとのことですが…あれ?一向にフィンにたどり着かないぞ!?

筆者:「色々とあったんですねぇ…ところでなんですが…」

柿添氏:「はい?」

筆者:「こう言ってはあれなんですが…なかなかフィンと出会わないというか…」

柿添氏:「あぁ!確かに!っていうか実際、僕フィン歴はそこまで長くないんですよ!」

筆者:「なんと!」

柿添氏:「もちろん学生時代から存在自体は知っていましたけどね。競泳でも足ひれをつけて泳ぐ練習とかありますし。実際、現役当時はドルフィンキックが得意だったんですけど、監督から“お前だったらフィンの日本記録を出せそうだな”なんて言われていたくらいで」

筆者:「そうだったんですね~!」

柿添氏:「それで何となく頭の片隅には残っていて、実は就職してすぐにフィンチームの練習会に1回だけ参加したんですよ。そこで知り合った人と連絡先も交換して…。そしたらなんとその人、たまたま家が近かったんですね」

筆者:「おぉ~世間って狭いですね(笑)」

柿添氏:「いや、本当に!でもフィンのことは結局すぐに忘れてしまいました(苦笑)マスターズの練習していた時もやっぱり競泳が僕の頭の中では中心だったので」

筆者:「それがなぜフィンに?」

柿添氏:「たまたまですが、今から2年半前かな、フィンのトップ選手たちが集まる合宿に参加する機会があったんです。一緒に練習してみてそこそこはやれたんですよ。勝負になりました」

筆者:「トップ選手の中にいても、ですか?」

柿添氏:「はい。それがやっぱり自信になりました。話を聞いてみると、競技人口が少なくてまだまだ日本では歴史が浅いとのことでした。つまり、僕でも“勝ち目がある”ということなんです。競泳選手として一線を退いた僕でも“フィンならば日本代表になれるかもしれない”…そう思えたんです」

フィンスイミングを本格的に始めて2年半、柿添さんがフィンスイミングに残してきた功績とは?競技者として目指すところとは?

次回、柿添さんとフィンスイミングの魅力をさらに掘り下げていきます!


この記事の【後編】はこちら

前回のフィンスイミング特集記事はこちら


柿添選手の公式facebookページはこちら
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フリパンライター

麹町敏郎

WEB媒体を中心にフラフラしている適当ライター。数年前から「フリパンってなんだ?」と興味を持ってたんですが、ひょんなことから中の人になっちゃった!なんてこった!
心癒される話から、キワモノ系までみなさんの心をくすぐるような記事をご提供できればと思います。

ブログはこちら:http://kohjimachi.com/

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