青山周平 (オートレース選手)

青山周平 (オートレース選手), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=464267 / CC BY SA 3.0

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青山 周平(あおやま しゅうへい、1984年12月5日 – )は、千葉県市原市出身のオートレース選手(元船橋オートレース場所属、2016年4月より伊勢崎オートレース場所属)。
オートレース転向前はロードレースライダーとして活躍し、2003年全日本ロードレース選手権GP125、2005年同GP250クラスでチャンピオンを獲得している。
兄は、ロードレースライダーの青山博一。
3歳でポケバイ、10歳でミニバイクに乗り始める。
11歳で桶川塾に入門。
2001年より全日本ロードレース選手権GP125に参戦。
表彰台1回を含む活躍でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、年間ランキング8位となる。
全日本デビュー3年目の2003年には6戦3勝をあげてタイトルを獲得した。
2004年よりGP250クラスへ転向、1勝でランキング2位となりルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。
2005年は有力ライダーの同クラス参戦が減ったことから、ライバル不在といわれるような状況であったとはいえ、7戦6勝2位1回で年間チャンピオンとなった。
2006年よりホンダレーシングスカラーシップ(全日本GP250クラスで、ホンダ車に乗りチャンピオン獲得等の活躍をした22歳以下の選手が対象。期間は2年間)の第3期生として、アルベルト・プーチが率いるレプソル・ホンダよりロードレース世界選手権(250ccクラス)に参戦する。
第5戦フランスGPでは初の表彰台(3位)を獲得し、年間ランキング8位でデビューシーズンを終了する。
この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
2007年は第15戦日本GPで同選手権初ポールポジションを記録。
年間ランキング11位でシーズンを終えた。
2008年よりアルト・エボリューション・ホンダ・レーシングからスーパーバイク世界選手権に参戦したが、年間わずか5ポイントの、シリーズランキング30位という惨憺たる結果に終わった。
2009年シーズンはどのカテゴリのレギュラーシートも獲得することができず、さらに前年所属したチームから渡された契約金の小切手が不渡りとなってしまい、周平は自宅の近所にあるラーメン屋「麺や紅丸」でアルバイトをすることになった。
そんな中でもレースへの参戦をあきらめず、スポンサー資金を集めてロードレース世界選手権第2戦もてぎ、250ccクラスへのワイルドカード参戦を果たした。
古巣のハルクプロから、戦闘力に劣る2002年型のRS250Rでの参戦となったが、決勝では見事6位を獲得。
周囲へ健在ぶりをアピールした。
これが認められて後に、スペイン選手権のエクストリームクラスと、ロードレース世界選手権250ccクラスの後半4戦を掛け持ちする形で復帰を果たし、250ccクラスでは全戦でポイントを獲得する走りを見せた。
2010年シーズンに向けてMoto2・125ccクラスのチームと交渉し、世界選手権への復帰を模索していたがどのチームとも契約には至らず、2010年2月8日、自身のブログでロードレーサーとしての現役引退を発表し、今後はオートレース選手を目指すことを明かにした。
6月4日発表の第31期選手候補生第2次試験に特例合格後、第3次試験を経て正式に合格し、9か月間オートレース選手養成所で訓練を受け、2011年7月30日に船橋オートレース場で選手としてデビューした。
オートレース関係者の間ではデビュー前より「10年に1人の逸材」とも言われており、ファンからの注目度も高い。
また、下記に示す通り、ルーキーオブザイヤー(最優秀新人選手賞)の獲得歴が多い。
^ これまでの記録は、中村雅人が2016年8月にオートレースグランプリで達成した13年136日。